2019年度日本ドイツ学会奨励賞≫ 


201
9年度日本ドイツ学会奨励賞は、学会奨励賞選考委員会による慎重な選考を経て

秋野有紀氏獨協大学外国語学部 准教授
文化国家と「文化的生存配慮」—ドイツにおける文化政策の理論的基盤とミュージアムの役割美学出版

川喜田敦子氏東京大学大学院総合文化研究科 准教授
東欧からのドイツ人の「追放」—二〇世紀の住民移動の歴史のなかで白水社
に決定されました。2020年6月21日、オンラインで開催された日本ドイツ学会大会での授賞式において奨励賞選考委員会の西山暁義委員長から選考経過と受賞理由の発表があり、秋野氏と川喜田氏に賞状と副賞が授与されました。
 
選考理由

2019
年度の日本ドイツ学会奨励賞は、

秋野有紀さんの『文化国家と「文化的生存配慮」—ドイツにおける文化政策の理論的基盤とミュージアムの役割』美学出版

および

川喜田敦子さんの『東欧からのドイツ人の「追放」—二〇世紀の住民移動の歴史のなかで』白水社

の2作品に授与することとなりました。

 以下、審査の経緯について、簡単にご報告申し上げます。 

 今回、奨励賞候補作品を選定する前段階として、本年度より選考委員会事務局を担当されることになった村上宏昭さんより、昨年度と同様、対象期間に出版されたドイツおよびドイツ語圏に関わる書籍のリストを選考委員会、および理事幹事会に示していただき、それと同時に奨励賞候補作品の推薦を学会員の皆様にお願いいたしました。

 その結果、4作品が奨励賞候補作品として推薦されることになりました。うち1作品につきましては、本年1月、2009年度の深井智朗氏の奨励賞受賞取り消しに際し、今後学際性を維持しつつ再発を防止するための取り組みとして、学会HPにおいて報告させていただきましたように、「候補作品が、選考委員会がカバーする専門領域から外れる場合、学会の内外を問わず、可能な限り近接分野の専門家に調査を委嘱する」ということを実行いたしました。ここで鑑定を執筆していただいた方、また鑑定者の紹介にご尽力いただいた方のお名前を挙げることは差し控えさせていただきますが、ご協力に心から感謝を申し上げたいと思います。

さて、この4作品につきまして、本年度より6名へとスリム化した審査委員が査読し、それぞれの作品の評価を事務局に提出しました。評価は従来通り、各委員がそれぞれの作品に所見とともに10点満点で評点を付け、それを集計する形で行いました。その上で、531日、委員全員の参加によるオンライン会議での合議のうえ、受賞作2作品を決定いたしました。

 最初に、秋野さんの作品にかんしましては、ドイツにおける文化政策がどのような歴史的背景の下に成立、発展してきたのかを跡付けたうえで、戦後の西ドイツ、そして「採算性」の名のもとに市場原理が文化領域により浸透するようになった統一以降のドイツにおいて、文化の「公共性」がどのように定義され、そして実践されてきているのかを主題とした、きわめて意欲的な研究と評価されました。「文化的生存配慮」をキー概念として、法制度、行政と、ミュージアムにおける実践の双方向からのアプローチは、議論に奥行きを与え、そこに示された民主主義社会と文化の関係のあり方をめぐるドイツの試行錯誤は、今回、新型コロナ感染症問題が図らずも露呈させた日本における文化の公共性の問題を批判的に考えるうえでも、大いに参考になるであろうことが、多くの委員によって指摘されました。

 次に、川喜田さんの作品につきましては、「追放」という長くナショナリズム、一国史的枠組みのなかで語られ、研究されてきたテーマを、時間軸と空間軸を広く設定し、それがいかにヨーロッパ的次元のなかで構想、実行されてきたのか、また追放民たちの統合の複合的なプロセス、そして社会、学術における記憶や神話の形成にいたるまで、さまざまな側面を豊富な資料をもとに堅牢に論じた労作である、という点で評価は一致しました。ドイツ史をどのようにヨーロッパ、さらにはグローバルな文脈の中に位置づけるか、ということについては、近年さまざまな研究が行われておりますが、川喜田さんの研究は20世紀現代史にかんするその重要な例であり、「住民移動」をかく乱要因ではなく、むしろ重要な構成要素とする視点は、ドイツにかんする学際的なアプローチに大いに刺激を与えうるものである、と評価することができます。

 以上、2作品とも、ドイツ研究の学際的発展に資する、という奨励賞の趣旨に十分にかなう研究であるという点について、選考委員会で意見は一致し、2作品同時受賞ということに決定いたしました。このことを66日の理事幹事会に答申し、承認をいただきました。

  最後に、受賞されたお二人に心からのお祝いを申し上げて、報告を終えたいと思います。秋野さん、川喜田さん、まことにおめでとうございます。

   
秋野有紀氏の授賞あいさつ

獨協大学の秋野有紀と申します。この度は、拙著『文化国家と「文化的生存配慮」』に日本ドイツ学会奨励賞という名誉ある賞を与えていただき、誠にありがとうございました。この場をお借りして、本書を御推薦下さった方、選考委員の先生がたをはじめ、これまでの研究生活でお世話になってきた全ての方々に、心よりの御礼を申し上げたく存じます。

本書は、ドイツの文化政策を扱っています。2000年代半ば、ドイツには、ボン基本法を改正し、国家目標を定める第20条に、民主的、社会的と並び、文化的を入れられるか、という議論がありました。そうなると、ドイツを「文化国家」と呼ぶことも可能になるわけですが、ここで大きな論争となったのが、本書のタイトルの文化国家と生存配慮でした。

文化国家には先進国という意味もあります。しかしある一時期、ドイツで、集権的かつ闘争的な用法が現れた時期がありました。生存配慮は、政策理念を実施する行政レベルの用語です。しかしこちらもナチ時代に、法に優越する権力を行政に集中させるための理論となりました。それゆえ今日でも、留保が付きます。

本書はこの2つを手掛かりに、3つの方向から、ドイツがどのような思いで、文化政策を形作ろうとしてきたのかを、探ってゆきました。1つ目は、近代国民国家揺籃期の文化振興法制化の意図、2つ目は、戦後西ドイツの文化政策理念の狙い、そして3つ目は、80年代以降、そうした政策理念を可視化していったミュージアム制度の意味です。

ナチ時代の過去の反省から、ドイツの文化政策の権限は、州と自治体にあります。しかし州であれ、自治体であれ、政治権力が芸術に介入する危険性は同じです。本書がドイツの特徴として、一番強調したかったのは、それを見越して、1970年代に「新しい文化政策」を始めるにあたって、批判的民主主義というものが、文化政策の基本に、なかば期待を込めて埋め込まれ、その上に今日の制度がある、という点です。

日本では、「ドイツも福祉に手厚いヨーロッパの国のひとつだから、自ずと文化予算が潤沢なのだろう」と思われがちです。けれども、ドイツではしばしば、「文化は、民主主義の基盤」であり、「文化政策は、(Sozialpolitikではなく)Gesellschaftspolitikである」ことが強調されます。つまり「自らの理性を公的に(・・・)使う」という意味で批判精神を持った市民が、自らの手で、統制し、形作っていくことを重視する政治領域の一つと、理念的には、考えられています。こうした政策や、既存学問の批判的な問い直しという潮流が相互に影響を与える中から、ミュージアム論争や歴史家論争が、起こっていきます。

今日わたしたちはドイツのミュージアムで、多くのギャラリーガイドや音声ガイド、展示の説明を見かけます。議論を喚起するこうした仕事を担うために制度化されているのが、フェアミットラーです。もはやペダゴーゲと言われないのは、彼らが、来場者に作品の情報を教養として「教える」存在ではないからです。彼らは、既存の価値観や思考枠組を揺さぶり、分析視点の複数性を、住民と一緒に生み出すためにいる専門です。

さて最後になりますが、ドイツの政策立案では、基本中の基本としてBestandaufnahme、つまり、まず現状把握をせよ、ということが、口を酸っぱくして言われます。しかし私自身は、自分の関心のままに潜ったり、浮かんだり、回り道ばかりしています。本書でも、歴史や哲学思想に触れないと政策の背景が理解できない部分に関しては、その時々に学ぶよう努めては参りました。しかし、専門家の方々から見ると、理解が表層的で、間違いもあるかもしれません。この受賞を機に、本書が様々な分野の専門家の方がたの目に留まり、さらなるご批判を戴けましたら、大変有難く存じます。

本日は、貴重な機会を設けていただき、誠にありがとうございました。

以上をもちまして、私の挨拶に代えさせていただきたく存じます。





   
川喜田敦子氏の受賞あいさつ

このたびは、昨年春に白水社から出版いたしました『東欧からのドイツ人の「追放」――二〇世紀の住民移動の歴史のなかで』に対して日本ドイツ学会の学会奨励賞をいただけることになり、大変光栄に思っております。先ほど、学会奨励賞選考委員会の西山委員長から、身に余る評価のお言葉をいただいたことにつきましても御礼を申し上げます。

この本のもとになる研究を始めたのは、1990年代の終わり頃のことです。被追放民の統合というのは、私が博士論文で取り上げたテーマでした。この本の後書きにも書いたことですが、論文を書き終えた後、すぐにも本にしたほうがよいとあちらこちらから言われながらも、私は、博士論文そのままの形ではどうしても出版することができませんでした。以来、20年近くかけて、このテーマをどういう形で世に問えばよいのかということを考え続けてきたことになります。

それは、修士・博士あわせて5年間という、人文系の研究者としては際立って短期間のうちに博士論文を書いて大学院を出てしまった私にとって、つまり、研究者として一人前になる前に修業期間を終えてしまったということを切実に意識せざるをえなかった私にとって、苦しい時期ではありましたが、大学院を出たからこそ、対象地域も方法も違う方たちと自由にいろいろなプロジェクトをご一緒できるようになり、少しずつものが見えるようになっていった、学びと成長の時期でもあったのだと思います。

20年のうちに、いつの間にか、後進を育てる身になりました。これほど時間をかけることを誰にも勧めはしませんが、これから研究者になろうとする若い世代が、どういう道を通ることになろうとも、自分なりの歩みを重ねて、いつか納得のいく仕事ができるようになる――その手助けをすることができればと考えております。

この本を書きながら、私のなかには3つの大きな関心が底流としてありました。第一に、歴史の記述としては、ドイツという一国史の枠組みを超えて、ヨーロッパ、さらにはアジアをも含み込むような大きな視野のなかで対象をとらえたいということです。これについては、この本のなかだけでは十分に実現することができませんでしたが、昨年11月に名古屋大学出版会から共編として出した『引揚・追放・残留――戦後国際民族移動の比較研究』という本のなかで、さらに一歩進めることができたかと思っております。

第二に、歴史の事象がどのように歴史の語りになっていくのかを、現実の歴史的文脈のなかで考えたいという関心もありました。何度か書評会を設定していただいたなかで、この点についてはあまり議論になったことがないのですけれども、実はこれが、もともとの私の問題関心の核です。戦後の国内情勢、国際情勢が、「追放」の当事者に対する統合政策だけでなく、彼らと彼らの経験をどう語るかも規定していく――東欧からのドイツ人の「追放」というのは、私にとっては非常に面白い素材でした。

第三の関心は、自分の扱う歴史的なテーマについて語ることが、今、自分の生きている社会と世界に意味をもつものでありたいということです。今回の本は、「ひとの移動」が大きな問題になったとくに2015年以降の情勢を踏まえて、「他者と生きる」ということを歴史の連なりのなかで考えようとしたものです。また、この本を日本で出版するということは、加害国の被害体験をどう語るかということが重要なモチーフになるということでもありました。

今、この本の後にとりかかろうとしている仕事は、少し違うテーマになりますが、根本的な関心には通底するものがあるのではないかと思っております。次のテーマにもしっかりと取り組み、また皆様のお目にかけることができるようなものにしたいと考えております。今回、学会奨励賞をいただけたことは、次の仕事の弾みになります。このたびは本当にありがとうございました。








2018年度日本ドイツ学会奨励賞≫ 


2018
年度日本ドイツ学会奨励賞は、学会奨励賞選考委員会による慎重な選考を経て

石井香江氏同志社大学 グローバル地域文化学部 准教授
電話交換手はなぜ「女の仕事」になったのか:技術とジェンダーの日独比較社会史ミネルヴァ書房

に授与されました。2019年630日、法政大学市ケ谷キャンパスにおいて開催された日本ドイツ学会大会に際して授賞式が行われ、奨励賞選考委員会の村上公子委員長から選考経過と受賞理由の発表があり、日本ドイツ学会香川檀理事長から石井氏に賞状と副賞が手渡されました。
   

選考理由

2018年度のドイツ学会奨励賞は、

石井香江『電話交換手はなぜ「女の仕事」になったのか:技術とジェンダーの日独比較社会史』ミネルヴァ書房刊

に差し上げることになりました。

 審査の経緯について、簡単にご報告申し上げます。

 今回、奨励賞候補作品を選定する前段階として、奨励賞事務局担当の弓削さんから、対象期間に出版されたドイツおよびドイツ語圏に関わる書籍のリストが示され、奨励賞候補作品としての推薦を学会員の皆様にお願いいたしました。

 その結果、4作品が奨励賞候補作品として推薦され、奨励賞審査委員6名ないし7名がそれらの作品を読み、評価したものを所見と共に事務局に提出しました。

 作品によって所見を寄せた委員の数が異なるのは、各々の審査委員のやむを得ない事情によります。また、それによって不公平が生じないよう、評価の際には考慮いたしました。

 評価は従来通り、各委員がそれぞれの作品に10点満点で評点を付け、それを集計する、という形で行いました。その上で、526日、出席可能な審査委員が集まって合議の上、受賞作を決定いたしました。

 石井作品は全ての審査委員から非常に高く評価され、受賞に疑義があるとすれば、既にアカデミック・キャリアに乗っていらっしゃる方を対象とするのは、奨励賞として適当なのか?という点と、著者の年齢のみである、ということになりました。

 第1の点は、これまでも既に大学で定職をお持ちの方に何度も奨励賞を差し上げておりますので、今回それを問題にする必要はないと考えられます。第2の年齢に関しては、本作執筆時には奨励賞の年齢制限内であったということで、クリアできるであろうと判断いたしました。 

 石井香江さんは、既にご存じの方も多いかと存じますが、同志社大学准教授でいらっしゃいます。そして、受賞作『電話交換手はなぜ「女の仕事」になったのか』は、膨大な人事資料をドイツ、日本双方について丁寧に読み込み、そのデータに基づいて、「電信」「電話」に携わる男女の就労者の生活を描き出し、電話交換手=女というイメージ成立の裏にある歴史を日独対照しつつ明らかにしようとするものである、と纏めることができるでしょう。

 本作は本年5月、昭和女子大学女性文化研究賞の受賞対象になり、石井さんはこの賞を受賞されました。こちらの賞は「男女共同参画社会形成の推進あるいは女性文化研究の発展に寄与する研究を対象」とするものだそうですが、本作の内容は、当然ながら、この賞の対象となるに相応しいものです。しかし、それだけではありません。ある委員は本作について次のように評価しています。

「従来の専門職研究の枠を大きく超える力作。比較ジェンダー史・比較社会史研究の新境地を開いた。」

 歴史学の立場からも、ジェンダー研究の見地からも、社会文化研究あるいは女性文化研究の場から見ても高く評価される本作は、分野の壁を越えた研究を目指すドイツ学会の差し上げる奨励賞の対象として最適であると言ってよいのではないでしょうか。
















   

石井香江氏の受賞のあいさつ  

ただいまご紹介にあずかりました同志社大学の石井香江と申します。この度は、拙著をドイツ学会奨励賞にお選びいただきまして、誠にありがとうございました。ご推薦下さった方をはじめ、ご講評下さった選考委員の先生方に、この場を借りまして、深くお礼を申し上げたいと思います。幾つかの書評で頂きました貴重なご指摘、ご批判の数々を真摯に受け止め、今後の研究活動で取り組んでいく課題にしたいと存じます。

早速ですが、私の研究のバックボーンとなる学問分野は社会学です。現代社会の問題に対する関心が先にあり、その由来を探るために歴史的アプローチをとる姿勢を明確にしてきました。拙著もこうした研究スタイルから生まれていますので、理解が得られないのではないかと危惧していましたし、もっと工夫の余地があったことも強く自覚しております。ですので、受賞のご連絡を頂いた時は、正直なところ大変驚きました。社会学と歴史学の対話を、強引ながらも試みようと挑戦した点が、学際的研究として評価して頂いた理由ではないかと推察しています。

 本書は、19世紀後半から20世紀初頭において、この時代を大きく動かした情報通信技術である電信・電話の誕生と発展のプロセスに注目し、それがドイツと日本において、技術を扱う労働力の配置、職場のジェンダー秩序に与えたインパクトについて比較検討しています。世界のグローバル化を牽引した電信・電話の、インフラとしての役割に注目する経営史・経済史的な研究に比べ、拙著のように電信・電話を扱う職場、そこで働く現業労働者・オペレーターに焦点を当てて、時代の特徴を描きだす社会史的・技術史的研究は、日本ではあまり見られませんでした。

ところで、本書の表紙の絵は、読者の方にとってインパクトが強いようで、関心を持ってくださる方が少なくありません。これは、民衆の日常を描いたドイツの画家ヴェルナー・ツェーメが、19世紀末のベルリンの電話局の様子を描いたものです。電話交換手といえば女性の職業の先駆けであり、女性たちが切り拓いた職業として知られていますが、歴史をたどれば男の仕事として出発しました。この絵は、技術革新を一つの契機として、電話交換手が男性から女性市民層の仕事に移り変わっていく瞬間をとらえた貴重な一枚といえます。

電話交換手が女の仕事であった事実についてはよく知られていますが、その理由や経緯について、必ずしも説得的な説明がなされてきたわけではありません。本書ではこのブラックボックスに迫るために、逓信省や各地の電信・電話局の公文書、社史、従業員が購読する機関誌や新聞に加え、職場のリアリティを描く回顧録や小説までを検討しました。また日本に関しては聞き取り調査も試みました。

本書の特徴は電話交換手が女の仕事になっていく過程を、電信技手が男の仕事になっていく過程と表裏一体のものとしてとらえ、関係史的に分析している点です。もう一つの特徴は、日独間の比較史であるという点です。電信・電話は欧米で開発され、ほぼ同時期に世界中に伝播し、世界の隅々を結びました。このため各国は、技術の使い方や担い手についての情報を共有し、互いに参照し合っていたのです。比較の視点は自ずと生まれ、ドイツと日本の間に多くの共通点を発見する一方で、技術革新の速度や「職場文化」の有無、その持続性という相違点も確認できました。本書では比較という方法を自己目的化するのではなく、日独の間に相違点を見出し、そこを可能な範囲で掘り下げるためのツールとして活用しました。ご批判はありましたが、ジェンダー秩序を日々生成する職場文化の存在は、一国史的な枠組みで研究していたのでは、気づきえなかったことと思います。

ただし、日本の職場文化に注目したがゆえに、歴史学では重要と思われるテーマ、例えば二度の世界大戦時の国内外での女性労働の実態を掘り下げることは、あえてしませんでした。電信・電話は重要な軍用技術でもありましたし、女性の戦争への動員というテーマとは切り離せません。こうした課題については、今後あらためて正面から向き合っていくつもりです、と決意表明をさせていただき、私からのご挨拶を終わらせていただきます。本日は誠にありがとうございました。











2017年度日本ドイツ学会奨励賞は該当作品なしでした。


2016年度日本ドイツ学会奨励賞≫ 


2016
年度日本ドイツ学会奨励賞は、学会奨励賞選考委員会による慎重な選考を経て

板橋拓己氏成蹊大学法学部 教授
黒いヨーロッパ ドイツにおけるキリスト教保守派の「西洋(アーベントラント)」主義、19251965吉田書店

に授与されました。201764日、筑波大学東京キャンパス文京校舎において開催された日本ドイツ学会大会に際して授賞式が行われ、奨励賞選考委員会の村上公子委員長から選考経過と受賞理由の発表があり、日本ドイツ学会香川檀理事長から板橋氏代理の吉田書店吉田真也氏に賞状と副賞が手渡されました。
   

選考理由

2016年度日本ドイツ学会奨励賞は、

板橋拓己著『黒いヨーロッパ ドイツにおけるキリスト教保守派の
「西洋(アーベントラント)」主義、19251965年』吉田書店刊

に差し上げることとなりました。

ここで著者ならびに受賞作の概要をご紹介し、審査経過をご報告申し上げます。

板橋拓己さんは1978年栃木県生まれ。2001年北海道大学法学部卒業、08年同大学大学院法学研究科博士後期課程修了。法学博士の学位を取得されました。現在は成蹊大学法学部教授を務めておられます。

受賞作『黒いヨーロッパ』には、長い副題「ドイツにおけるキリスト教保守派の「西洋(アーベントラント)」主義、19251965年」がついていますが、この副題はそのまま、この作品の主題を示しています。『黒いヨーロッパ』の「黒」とは、キリスト教聖職者の纏う法服の色を指し、そこからキリスト教、とりわけキリスト教系の政党を暗示する表現としても用いられています。ドイツのニュースでは、Schwarz-RotとかSchwarz-Grünという言い方で、キリスト教民主・社会同盟と社会民主党の連立や、緑の党との連立を示すことがよくあるのは、ご存じのとおりです。

筆者は序章において「本書では…キリスト教系の政治勢力のなかでも、最も保守的で『反近代的』なグループを中心に20世紀におけるキリスト教系政治勢力とヨーロッパ統合の関係を考察する」と述べています。だからこその『黒いヨーロッパ』であり、その「最も保守的で『反近代的』なグループ」こそ、「『アーベントラント(Abendland:西洋)』というスローガンを掲げて、ある種のヨーロッパ統合を支持してきたキリスト教保守派の人びと、いわゆる『アーベントラント主義者』」であるわけです。

この保守派の運動が「アーベントラント運動」であり、この運動の出発点にあたる雑誌『アーベントラント』が創刊された1925年から、「第二ヴァチカン公会議(196265年)後…教皇庁が漸く民主主義を積極的に肯定するように」なり、「世俗化や価値意識の転換によって…保守的で著しく宗教色の濃かったアーベントラント運動」が「世論への影響力を決定的に失う」1965年までを対象としていることも、本書の副題が示すとおりです。

本書の内容について、一言付け加えるならば、筆者は第二次世界大戦後、ドイツ連邦共和国の「西側結合路線」を選択、推進した初代連邦共和国首相コンラート・アーデナウアーがアーベントラント運動に親和的な発言を繰り返していたことなどから、この運動が戦後のドイツの、そして統合ヨーロッパへと向かうヨーロッパの政治史に、少なからぬ影響を及ぼした可能性があることを指摘しています。

次に、奨励賞審査の経過をご報告申しあげます。今回審査対象となったのは4冊でした。

審査委員8人全員が4冊全てを読み、例年通り10点満点で評価したものを事務局で集計し、57日、早稲田大学において審査委員会を開催いたしました。出席の委員は6人でした。ここでまず、集計結果に従って、1冊を審査対象からはずし、3冊を授賞対象作として議論を行いました。実は、板橋作品は最初の集計では最高点ではなく、残りもう一点の作品と合計点では同点だったのですが、対象とする研究分野内での評価、ならびにテーマの学際性を考慮した結果、板橋作品を受賞作とすることで出席委員全体の合意が得られ、その後、欠席委員の合意も得て、板橋作品にドイツ学会奨励賞を差し上げることが決まりました。

審査経過からもお分かりいただけるとおり、板橋作品には歴史研究を専門とする委員から非常に高い評価が寄せられました。ある委員は「研究上の間隙をつくもので、新境地開拓の努力を多としたい。日本のドイツ研究に及ぼすインパクトはかなり大きい」との所見を示しています。それに対して、歴史研究の専門家ではない委員からは、「なかなか焦点を結ばず、データは増えても結局肩すかし的印象となってしまう」といった辛口の評価が多く示されました。

テーマが魅力的であることは全員が認めているところですので、ドイツ学会奨励賞審査委員会としては、板橋さんが今後も、刺激的なテーマに果敢に取り組まれ、門外漢にも分かり易い記述を身につけられることを願ってやみません。














   

板橋拓己氏の受賞のあいさつ  

成蹊大学の板橋拓己と申します。このたびは日本ドイツ学会奨励賞という栄誉ある賞を与えられ、たいへん光栄に思っております。日本ドイツ学会、および選考委員の先生方に、心より御礼を申し上げます。また、この場を借りまして、これまでの研究生活でお世話になってきたすべての方々に深く御礼を申し上げます。現在、ケルン大学にて長期研修中につき、授賞式を欠席する無礼をお許しください。

本書『黒いヨーロッパ』は、第二次世界大戦後のドイツ連邦共和国において、「西洋(アーベントラント)」というスローガンを掲げて、ヨーロッパ統合を支持してきたキリスト教保守派の人びと、いわゆる「アーベントラント主義者」に連なる思想と運動を、戦間期にまでさかのぼって、実証的に検討したものです。

「アーベントラント」という概念は、シュペングラーの『西洋の没落』で有名かもしれませんが、反近代的で反リベラルな含意をもつ概念です。本書は、その反近代的な概念を掲げた「アーベントラント運動」が、これまで近代的、あるいはリベラルなプロジェクトと考えられてきたヨーロッパ統合を推進してきた逆説を描こうとしました。もちろん、このテーゼによって、ヨーロッパ統合が反近代的なプロジェクトだったと言いたいわけではありません。そうではなく、わたしは、本書を通して、単線的・近代主義的なヨーロッパ統合の歴史叙述に対して、ヨーロッパ統合の複合的な性格を示そうとしたわけです。本書のなかでは、既存の研究に対して、いくぶん挑発的な主張を展開しましたが、本日の受賞をきっかけに、様々な分野の専門家の方々から、さらなるご批判を頂くことができれば幸いです。

 

さて、現在のドイツ、そしてドイツを取り巻く国際環境は激動のさなかにあります。対外的には、2016年に大西洋の両岸で起きた二つの衝撃的な出来事、すなわちEU脱退をめぐるイギリス国民投票での離脱派の勝利と、アメリカ大統領選でのドナルド・トランプの勝利によって、ドイツ連邦共和国の外交政策の大前提であった「西側結合」路線が揺さぶられています。また、国内的には、一時の勢いを失ったとはいえ、イスラム系移民排斥運動であるペギーダや、極右ポピュリズム政党である「ドイツのための選択肢(AfD)」などが、ドイツの政治・社会を揺さぶっています。

こうした目まぐるしい「変化」を批判的に考察するためにも、歴史研究は欠かせません。いったい何が新しい問題で、何が古い問題なのか。ペギーダ(PEGIDA)のAはアーベントラントのAですが、なぜペギーダは「アーベントラント」という概念を使っているのか。あるいは、そもそもドイツ連邦共和国の「西側結合」とは何だったのか。そうしたことを考える際にも、本書はいくばくかの示唆を与えるものになっているかと思います。歴史研究者だけでなく、ひろく現代ドイツ・ヨーロッパに関心を持つ方々にも本書をお読みいただけるならば、著者としてはこのうえない喜びです。

最後に。現在、二年間の長期研修期間を勤務校から与えられ、ケルン大学歴史学科歴史教授学・ヨーロッパ統合史講座というところで客員研究員を務めております。いまだドイツ語で苦労しているような有様ですが、講座の共同研究プロジェクトに参加しつつ、文書館に通うという、たいへん贅沢な時間を過ごしております。今回の受賞を励みとして、激動のドイツ政治を横目で注視しつつも、じっくりと腰を据えて、新しい歴史研究のテーマに取り組んで参りたいと思います。

本日はどうもありがとうございました。











≪2015年度日本ドイツ学会奨励賞≫ 


2015
年度日本ドイツ学会奨励賞は、学会奨励賞選考委員会による慎重な選考を経て

速水淑子氏慶應義塾大学法学部 非常勤講師
『トーマス・マンの政治思想-失われた市民を求めて』創文社

吉田 寛氏立命館大学大学院 先端総合学術研究科 教授
『絶対音楽の美学と分裂する 〈ドイツ〉  十九世紀』 (青弓社)

の二点 に授与されました。 2016612日、早稲田大学において開催された日本ドイツ学会学術総会に際して授賞式が行われ、奨励賞選考委員会の村上公子委員長から選考経過と受賞理由の発表があり、日本ドイツ学会香川檀理事長から速水氏と吉田氏に賞状と副賞が手渡されました。

   

選考理由

2015年度日本ドイツ学会奨励賞は、2006年、2013年度に続く三度目になりますが、二作品に差し上げることとなりました。受賞作は、著者五十音順に、

速水淑子(はやみよしこ)さんの『トーマス・マンの政治思想 ― 失われた市民を求めて』創文社刊と

吉田寛(よしだひろし)さんの『絶対音楽の美学と分裂する<ドイツ> 十九世紀』青弓社刊

の二つです。

両作品の著者と作品の概要をご紹介し、審査の過程についてご報告申し上げます。

速水淑子さんは、東京大学大学院農学生命科学研究科修士課程修了後、慶應義塾大学法学研究科博士課程を修了、博士号を得られました。現在は慶應義塾大学法学部非常勤講師でいらっしゃいます。受賞作は、博士論文を大幅に修正、加筆したものである、とのことです。

受賞作『トーマス・マンの政治思想』は、著者によれば「トーマス・マンの政治思想を、市民性とのかかわりを軸に明らかにすること」を目的とし、「マンの思想を『歴史的に与えられた社会的思想的原状況』に対する応答として読み解く」試みです。このように申し上げると、既視感を持たれる方もおいでかと存じますが、速水作品の特徴は、その分析の広さ、深さ、そして緻密さと周到さにあります。

審査委員の一人は「市民と市民性という鍵概念を同時代の関連分野に目配りをしながら、平明な文章で掘り下げている点に感銘を受けた」と述べ、別の一人は「マンの多様な発言をこれほど明解かつ網羅的にまとめた本を初めて見る思いがする」と評価しているところからも、速水さんの分析の秀逸さがお分かりいただけるでしょう。

吉田寛さんは東京大学大学院人文社会系研究科(美学芸術学)博士課程修了ののち、学位申請論文『近代ドイツのナショナル・アイデンティティと音楽―《音楽の国ドイツ》の表象をめぐる思想史的考察』によって博士号を取得。同研究科助教、立命館大学大学院先端総合学術研究科准教授を経て、現在は同教授でいらっしゃいます。受賞作はこの博士論文を元にして出版・発表された一連の(四冊の)著作の最終作であり、博士論文の第5章に加筆・修正を加えたものです。

受賞作『絶対音楽の美学と分裂する<ドイツ>』は、少々乱暴にまとめますと、19世紀に起こった音楽における「ドイツ的なるもの」の評価の変遷と、政治理念としての<ドイツ>の変遷と分裂を重ね合わせてそのあり様を記述したもの、と言えるでしょう。蛇足ですが、吉田さんは本作品で2015年度サントリー学芸賞を受賞されています。

 次に、審査の過程についてご報告いたします。本年度の候補作品は5冊でした。8名の選考委員全員が全作品を読み、10点満点で評価したものを事務局で集計し、その上で514日に7名の委員の出席を得て、選考委員会を開催しました。集計結果に基づき、多少の議論はありましたが、速水作品と吉田作品が最終候補として残りました。

双方の研究分野が近いこともあり、できれば二作品同時受賞は避けたいと、様々な側面から議論しましたが、どちらか一方を選ぶ決定的な論拠を提示することができず、結局、分野は近接であっても、双方の研究スタイルはまったく対照的で、分野のクロスオーバーだけでなく、研究手法の多様性を認めるという意味で、二作品に奨励賞を差し上げてもよいのではないか、という結論に至った次第です。






















   

速水淑子氏の受賞のあいさつ 

 このたびは、栄誉ある賞を与えられ、たいへん光栄に感じております。講評をいただいた先生方、そして、執筆に際し指導を受けた慶應法学部政治思想専攻の先生方に、改めてお礼を申し上げたく存じます。

 本研究は、1900年代から第二次世界大戦後まで、約半世紀にわたるトーマス・マンの「政治思想」の変遷を、小説、論説、書簡、日記の分析を通じて論じたものです。政治思想家としてのマンに関心を持ったのは、学部二年生の語学の授業で読んだ、「芸術家と社会」という小論がきっかけでした。その小論の終わりのほうで、マンは、「芸術家が政治的に道徳を説くということに、なにか滑稽なところがあるのは否定できない(Unleugbar hat ja das politische Moralisieren eines Künstlers etwas Komisches)」と述べていました。亡命を余儀なくされ、息子や友人を失いながら、ファシズム、ナチズムとの闘いを訴えてきたマンが、最晩年の1952年に、自分の政治活動を振り返って、「滑稽」なものであったと総括しているのは、それだけで異様なことですが、同時にまた、この言葉を通じて「政治」というものの輪郭が、「芸術」の側から思いがけず照らし出されたような、そういう強い印象を受けました。

 それから文献を読み進めまして、マンの思想世界においては、彼が晩年に「存在への共感」と呼んだような精神態度、危険で有害なものにさえも向けられる無制限の共感が、芸術家に不可欠のものと考えられており、そして「政治」はこの共感に排除と暴力の契機を以て制限を加えるものとして捉えられていたのだと、考えるようになりました。こうした「政治的なもの」に対する警戒の一方で、マンには、それとは異なる「社会的なもの」への期待がありました。それは、個人が「無制限の共感」を共同性と照らし合わせて自己規制し、それによって個人の内的涵養と社会的連帯が相即的に発展していくという教養のプロセスを指しているのですが、ワイマール期以降、この理想が、宇宙論や物語論の構築を含めた、市民的人文主義の再解釈という壮大なプロジェクトとなって表れたことも見えてきました。

 研究では、このプロジェクトの背景にあるマンの歴史あるいは現状認識を、同時代のコンテクストに位置づけ、批判的に相対化することにも重点をおきました。ただしこれについては課題が多く残り、例えば「有機体としてのドイツ」や「東西の中間にあるドイツ」といったマンの言説について、当時の言論状況と照らし合わせて、より批判的に検討するべきであったと、すでに批判をいただいているところでもあります。本日の受賞をきっかけに、各分野の専門家の方々から、さらなるご批判を頂くことができれば、そしてそれを、ドイツ人文主義と政治の関係を振り返るという長期的な研究目標に活かすことができれば、と願っております。本日はありがとうございました。









   

吉田 寛 氏の受賞のあいさつ 

 立命館大学の吉田寛と申します。

 この度は、拙著『絶対音楽の美学と分裂する〈ドイツ〉』を、日本ドイツ学会奨励賞にお選びいただきまして、誠にありがとうございます。日本のドイツ研究をリードする本学会の先生方に、拙著をお読みいただき、またご関心をもっていただいたことは、身に余る光栄です。

 実は私は、日本ドイツ学会へは今回で二度目の参加となります。前回の参加は、20116月に新潟で開かれました第27回総会でした。そこでのシンポジウム「音楽の国ドイツ?──音楽と社会」にお招きいただき、研究発表をし、その後『ドイツ研究』に論文も掲載していただきました。その時点では、ちょうど本書を第三巻とするシリーズの、第一巻を書いている途中でした。このシリーズの副題は「〈音楽の国ドイツ〉の系譜学」といいますが、その副題を考えている際、その学会シンポジウムの題名と完全にかぶってしまうが大丈夫だろうか、真似したと思われたらちょっと悔しいなあと、気にしたことを今も覚えております。ともかく、そのシンポジウムや論文掲載の過程で、本学会の皆様から大きな刺激と励ましをいただいたことが、拙著として結実しました。今あらためて感謝の意を表します。

 私はドイツ語やドイツ文化の専門家ではございません。現代音楽の研究からスタートし、現在は感性とメディアを研究しています。芸術からもドイツからも離れてしまっています。ドイツ語は資料を読むために使うくらいで、ほとんど話せません。ドイツへは調査には行きましたが、留学などはしておりません。ドイツで学会に出るときも、英語で話しています。しかし、ドイツとその程度の関わりしかない私でも、音楽とナショナル・アイデンティティの研究をするためには、どうしてもドイツのことをやらざるをえなかった。それくらい、音楽という芸術とドイツという場所は、密接に結び付いている、ということです。そのことは拙著によってわずかでも明らかにできただろうと自負しています。そして、そのような私が、音楽を研究するなかで、ここまで深くドイツの問題に立ち入ることができたのは、大学の学部時代によいドイツ語の先生に、また大学院時代に優れたドイツ研究者に、たくさん巡り会えたためです。図書館にドイツ語の文献が豊富にあったためです。それはとりもなおさず、日本におけるドイツ研究の伝統と成熟のおかげだと思っています。わざわざ留学などしなくとも、日本にはドイツ研究のための十分な環境がある、ということです。それは素晴らしいことであり、またこれからも長く維持されるべきことだと思います。その意味でも、日本のドイツ研究を日々支えておられる本学会の皆様には、深く敬意を表します。

 ドイツの文化や歴史の専門家が、拙著をどうお読みになったのかを知るのは、正直言ってたいへん怖いことです。音楽研究や思想研究の側から、精一杯のアプローチはしてみましたが、ドイツ史に関する私の理解や論述は、通り一遍、もしくは過度に図式的であったかもしれません。誤りもあるかもしれません。また拙著の後半の中心的視座となる、ドイツの南北問題、ドイツとオーストリアの関係についても、新しい研究が色々と出ていることが気にかかりなりながら、十分に扱いきれませんでした。この書で扱った問いは、十九世紀で完結するどころか、二十世紀を経て現代へ、そして今日へとつながっているものですので、いずれまた機会をあらためてじっくり調べ、考えてみたいと思っています。

 本日はありがとうございました。日本ドイツ学会のますますのご発展を祈念して、私からのご挨拶の結びとさせていただきます。













≪2014年度日本ドイツ学会奨励賞≫ 

2014年度日本ドイツ学会奨励賞は、学会奨励賞選考委員会による慎重な選考を経て、

北村 厚 氏東京成徳大学高等学校 専任講師
ヴァイマル共和国のヨーロッパ統合構想ミネルヴァ書房

に授与されました。 2015年6月20日、東京大学において開催された日本ドイツ学会学術大会に際して授賞式が行われ、奨励賞選考委員会の村上公子委員長から選考経過と受賞理由の発表があり、日本ドイツ学会姫岡とし子理事長から北村厚氏に賞状と副賞が手渡されました。

   

選考理由

 平成14年度日本ドイツ学会奨励賞は、北村厚さんの『ヴァイマル共和国のヨーロッパ統合構想』に差し上げることとなりました。奨励賞審査委員会を代表して、受賞者ならびに受賞作品をご紹介すると同時に、審査経過をご報告申し上げます。

 北村さんは、1975年福岡市生まれ、2004年に九州大学大学院法学府博士課程を単位取得退学され、2007年に同大学で法学博士号を取得されました。現在は、東京成徳大学高等学校専任講師として、世界史を担当していらっしゃいます。

 受賞作『ヴァイマル共和国のヨーロッパ統合構想』は、九州大学に提出された博士論文を元に、7年の歳月をかけて大幅に加筆、修正されたものだそうです。

 本書のテーマは、題名からも明らかなとおり、第一次世界大戦後のヨーロッパ没落という時代の流れの中で、ヴァイマル共和国ドイツにおいて希求されたヨーロッパ統合の理念と政策を解明することです。もちろん、大戦間のヨーロッパで、ヨーロッパ統合理念を追求したのはドイツに限りません。日本でもよく知られているクーデンホーフ=カレルギー伯のパン・ヨーロッパ論を初めとして、各国でそれぞれの思惑を踏まえたヨーロッパ統合論が唱えられていたようです。

 北村さんのご著書は、これら複数のヨーロッパ統合論を紹介するとともに、それらを踏まえたうえでのヴァイマル期のドイツにおける独自のヨーロッパ統合理念と、それを実現させるための政策の進展、並びにそれが最終的に挫折に終わるまでの経緯を、史料に基づき、丹念に論じたものです。

 次に、簡単に、審査の経過についてご報告申し上げます。

 今回、奨励賞の審査対象となったのは、北村さんのご著書ともう一冊の、計二点でした。まず、審査委員全員がこの二作品を読み、それぞれ10点満点で評点をつけ、その上で、5月10日に奨励賞審査委員会を開催し、出席した委員の間で協議を行いました。今回の審査では、比較的短時間の話し合いで、北村作品に奨励賞を差し上げることが決まりました。大戦間のヨーロッパ統合論について、ドイツ史の立場から説得的に論じた点が高く評価されたものです。ただし、評者によっては、「重要な大局的テーゼと細部の事実関係の議論があまり整理されずに並べられて記述される箇所が多い」ため、わかりにくい、という批判もあったことを付け加えておきます。

 日本ドイツ学会奨励賞審査委員会としては、北村さんが、これまでのご研究の成果を踏まえ、今後さらに共時的また通時的にも研究の視野を広げて、さらに充実した業績を重ねられることを心から期待いたします。




   

北村 厚 氏の受賞のあいさつ 

 東京成徳大学高等学校の北村厚と申します。このたびはドイツ学会奨励賞を受賞するという、身に余る栄誉を賜りまして、感謝申し上げます。

 拙著はドイツ近現代史における大きなテーマである「中欧」
Mitteleuropa)概念が、ヴァイマル共和国期においてヨーロッパ構想と結びつく性格を持っていたということを政策分析によって実証するものです。このテーゼはドイツ近現代史の研究者にとっては、「そうですよね、中欧論者はみんなヨーロッパ論じてますよね」という感じで、既知の感覚であったと思います。そんな中で私の研究に特色があるとすれば、言説分析のみで論じるのではなく、政策分析に取り組んだというところではないでしょうか。

 拙著は三部構成になっていまして、第一部で思想・理念の分析、第二部と第三部で政策過程分析となっており、第一部で理念型という形で「ヨーロッパ協同体」なるTypusを抽出し、あとは政策分析の中でその理念型が現れる場面を分析していきました。そこでは時代的状況・経済構造・政策アクターを踏まえる形で、非常に古典的というか、昔ながらの愚直な政治史の分析を行ったわけです。私が学部生時代に熊本大学の桑原莞爾先生や(当時熊本県立大学にいらっしゃった)星乃治彦先生、大学院時代に九州大学の熊野直樹先生から教えていただいた歴史研究は、そういうものでした。そうしたスタンダードな政治史研究が、このたび日本ドイツ学会という場でこうして評価されたことで、諸先生方の学恩にようやく報いることができたと思っております。

 私の研究は、何か生涯をかけて追究しなければならないような使命感を持って最初から取り組んだものではありません。自分が面白いと思ったテーマを一つ一つ積み重ねていった結果、その歩んできた道のりを振り返ってみて、実は全体としてやりたかったのはこのテーマだったのだと、後から理解したというものです。そのため、この研究が現代社会にとって何の役に立つのかとか、専門外の読み手を引き付けるエネルギーといったものはないかもしれません。まずは西洋史が面白いということで歴史学に取り組み、いつの間にか立派な本を刊行するまでになったわけです。

 私は現在高校教師として世界史の教鞭をとっておりますが、歴史の面白さを高校生に伝えるということを常に意識して授業に取り組んでいます。例年多くの受験生が史学科や歴史関係を学べる学部を志望しています。最近文系学部は逆風の中にあり、大学を取り巻く環境は近年ますます厳しいものになっていますが、高校のほうでも歴史好き、ドイツ好きをどんどん送り込んでいくつもりですので、ドイツ史を志望する学生の居場所を残していただけるよう、先生方には頑張っていただきたいと思います。

 ちょっと後半拙著の内容からずれてしまいましたが、最後に、これまでご指導いただいた先生方、そしてこの素晴らしい賞を授けていただいた日本ドイツ学会の皆様に感謝申し上げます。ありがとうございました。



≪2013年度日本ドイツ学会奨励賞≫ 

2013年度日本ドイツ学会奨励賞は、学会奨励賞選考委員会による慎重な選考を経て

青木聡子氏名古屋大学環境学研究科 准教授
『ドイツにおける原子力施設反対運動の展開』ミネルヴァ書房

福岡万里子氏国立歴史民俗博物館 准教授
『プロイセン東アジア遠征と幕末外交』 (東京大学出版会)

の二点 に授与されました。 201467日、武蔵大学において開催された日本ドイツ学会学術総会に際して授賞式が行われ、奨励賞選考委員会の村上公子委員長から選考経過と受賞理由の発表があり、日本ドイツ学会姫岡とし子理事長から青木氏と福岡氏に賞状と副賞が手渡されました。

   

選考理由

 2013年度日本ドイツ学会奨励賞は青木聡子(そうこ)さんの『ドイツにおける原子力施設反対運動の展開』ならびに福岡万里子さんの『プロイセン東アジア遠征と幕末外交』の二作品に差し上げることとなりました。奨励賞審査委員を代表して、お二人の受賞者および受賞作をご紹介申し上げると同時に、審査の経過を簡単にご報告いたします。

 青木聡子さんは1978年生まれ、筑波大学第一学群社会学類をご卒業の後、東北大学大学院文学研究科博士後期課程を修了、学位を得て、現在は名古屋大学大学院環境学研究科に准教授としてお勤めでいらっしゃいます。日本ドイツ学会の学会員でもあり、学会のシンポジウムなどにご登場いただいてもおりますので、お顔馴染みの方もおいでかと存じます。また、福岡万里子さんは1979年生まれ、東京大学教養学部超域文化学科卒業の後、同大学院総合文化研究科で修士並びに博士課程を修了し、学位を得られました。日本学術振興会特別研究員PDとして東京大学資料編纂所で御研鑽の後、本年4月、国立歴史民俗博物館に准教授として御着任なさいました。 

 お二人の受賞作のご紹介は後ほど行うとして、先に、今年度の審査経過をご報告申し上げます。例年通り、2013年中に出版された書物のうち、学会奨励賞にふさわしいと思われる候補作を推薦してくださるよう、学会員の方々にお願いし、その結果、四作品が審査対象とすべき候補作となりました。審査委員はこの四作品全てを読み、それぞれについて10点満点で採点し、コメントを添えて提出いたしました。最終的な審査委員会は55日、早稲田大学で行いましたが、その際、提出された点数ならびにコメント全てを奨励賞事務局の西山暁義さんが集計した資料が用意され、審査はその資料に基づいて、当日出席可能であった審査員によって行われました。

 四作品のうち二つは、それぞれ理由は異なりますが、今年度の受賞作とするにはふさわしくないということで、出席委員の合意が得られました。残ったのが、青木さんと福岡さんの作品でした。この段階で、委員の間の議論は、両者同時受賞にすべきか否かという点に集約されたと言ってよいと思います。できることならば、二作品の同時受賞は避けたいところだったのですが、しかし、両者は平均得点も同一で、最高点をつけた委員の数も同じという、ドイツで言う”patt”な状況になっており、局面を大きく動かすような議論も出ませんでした。出席委員間でかなり慎重に話し合いを重ねたのですが、結局、この二作品のうち、どちらを選んだとしても、もう一方を選ばなかったことを後悔することになるだろうという懸念を捨てることができなかったのです。

 当日出席していた審査委員の見解として、①青木さんと福岡さんの作品は、全く分野が異なる。②いずれの作品も、各々のあり方で、学際性、学術性、そして社会へのコミットメントを重視するドイツ学会の奨励賞受賞にふさわしい特質を示している。ことから、両作品の同時受賞を容認すべきである、という結論を出し、当日欠席であった委員の了承をまって、それを最終結果といたしました。
 

 ここで、ごく簡単に、二つの作品をご紹介いたします。どちらも、題名がほぼそのまま内容を示していると言ってよいのですが、青木さんの『ドイツにおける原子力施設反対運動の展開 - 環境指向型社会へのイニシアティヴ』は、ドイツの反原発(だけではないので、青木さんは原子力施設と言っていらっしゃるわけですが)運動の発生から現在までを、フィールドでの具体的かつミクロな調査と、環境社会学のマクロな学問的枠組みを用いた分析の双方を駆使して、バランスよく論述した作品です。審査委員からは、この作品の持つメッセージ性に心を揺さぶられた、という感想と、そこに懸念を持つという声の双方が聞かれたことを申し添えます。

 福岡さんの『プロイセン東アジア遠征と幕末外交』は、オイレンブルク使節団という名で呼ばれることも多い「『プロイセン東アジア遠征Preußische Expedition nach Ostasien』の派遣をめぐる国際的背景と日本=プロイセン修好通商条約の成立過程を、幕末…の日本を取り巻き、また舞台とした外交史・国際関係史の文脈の中に位置づけつつ、詳細に明らかにする…」作品です。確かに、この著書の内容はそれ以下でも以上でもないのですが、その「詳細」緻密さの極みと言うべき実証研究の厚みと、複数の言語による資料を丁寧に読み込むことで、固定化された歴史記述を説得的に脱構築する解釈の大胆さには圧倒されます。とまあ、「世界史的アプローチの顕現」に興奮する審査委員と、学際性の点で懸念があるとする審査委員双方の声が、この作品についても聞かれました。 

 日本ドイツ学会奨励賞審査委員会としては、お二人が日本ドイツ学会という、このような学会からの賞を受けられたことを新たな契機として、それぞれのご研究を深めるだけでなく、広げていらっしゃることを心からお祈りいたします。







   

青木聡子氏の受賞のあいさつ 

 名古屋大学の青木聡子と申します。このたび日本ドイツ学会奨励賞をいただくこととなり、大変光栄に思っております。この場を借りまして、拙著を推薦して下さいました方、学生時代の指導教員の先生方や調査先で出会った方々をはじめとしてこれまでの研究生活でお世話になってきたすべての方々に深く御礼申し上げます。 

個人的な話で恐縮ですが、私は宮城県の出身です。そして小学校低学年のときにチェルノブイリ原発事故が起き、子ども心に原発を怖いと思いました。それと同時に、自分の住んでいる県にも女川原発という原発があることを知り、とても不安になったことを今でも覚えています。なぜ原発なんて危険なものを使っているのか、しかもよりによってなぜそれが自分の地元にあるのか。なぜ大人たちは原発を止めてくれないのか。振り返ってみれば、この当時の子どもながらの不安や不満が現在の研究の出発点になっているように思います。 

東日本大震災の際には、女川原発はなんとか事故をまぬがれました。しかし、同じ東北の地、福島県で福島第一原発が大事故を起こしました。結果的にそれがドイツを脱原発へと向かわせる決定打になったことは、私にとって大変皮肉な事態で、本当に無念でなりません。 

その意味で、2011年のドイツのエネルギー転換は私にとってみれば大変不本意と言わざるを得ないわけですが、とかく2011年のみが強調されることも私にとって大変違和感のあることです。2011年がドイツのエネルギー政策の重大な転換点であったことは間違いありませんが、福島第一原発事故がこれほどまで迅速かつ決定的にドイツの脱原発へと直結した背景には、40年以上にわたって着々と敷き置かれてきた、脱原発に向かうレールの存在を指摘できます。ドイツの脱原発は「2011年」がすべてではない、福島第一原発事故が「引き金」になったことは確かだが、それは遅かれ早かれ何らかのかたちでもたらされ得た「引き金」であった、というのが私のスタンスであり、拙著では脱原発に至るレールがいかにして敷き置かれてきたのかを明らかにしようとしています。 

 その際に、原子力施設に抗う人々にとりわけ焦点を当てたのは、子どもの頃の感情と関連付ければ、「原発を阻止してくれる大人たち」に魅力を感じたからかもしれません。人々は何を思ってどのように運動に身を投じ、彼/彼女らのその身を投じるという行為はどのようなかたちで報われるのだろうか。これが私の一貫した問題関心で、拙著はこの問題関心にできるかぎり応えようとしたものです。そのすべてに応えられたわけではありませんが、私なりに人々の闘いっぷりや抗いっぷりを描き切ることはできたと思っています。そしてそこから明らかになったのは、運動を目的達成のための手段としてとらえるのではなく、運動それ自体を目的とするような運動観の存在であり、極端な言い換えをすれば、たとえ原子力施設を阻止できなくともそれに抗ったという事実が残るということ、それを意識しながら運動に身を投じる人々の姿でした。こうした人々の抗いの積み重ねが、結果として2000年の脱原発合意へと結実し、最終的には2011年のエネルギー転換へとつながったわけですが、「運動と政策転換のあいだ」を十分に描き切ったとはいえず、私の研究課題として残っております。加えて、脱原発後のドイツ社会、とりわけ原発立地地域に生きる人々が、自らが直面することとなった困難な状況と向き合いそれを克服していくプロセスを見届け検証するという新たな課題も浮上してきました。今後はこれらの課題に取り組みながら研究を進め、そこから得られたものを日本社会に還元できればと思っています。

本日はありがとうございました。

   

福岡万里子氏の受賞のあいさつ 

このたびは、栄誉ある賞を賜りまして、誠にありがとうございます。 

 拙著は、1860年に来日したプロイセン東アジア遠征という素材を通して、幕末の動乱・変革期の日本が置かれた外交史的状況、東アジア国際関係史の中で置かれた立ち位置について、考察を試みたものです。遠征の結果結ばれた1861年の日本プロイセン修好通商条約は、当時の日本の入り組んだ不安定な内政外交状況の中でなぜ締結され得たのか。と同時に本来は条約に参加するはずだったプロイセン以外の一連のドイツ諸国が条約から外されたことは、同時代の東アジアの中ではどのような意味を持ったのか、またそれは、当時の日本外交の性質についてどのようなインプリケーションを持つのか。遠征に関わる史料の中に見出される極めて多様な情報やアクターたち、それはプロイセンや日本のみならず、オランダやハンザ諸都市、シャムや中国、アメリカやイギリスその他、背景や出自は多岐にわたるのですが、それら/彼らは、どのような国際的なコンテクストの中で、ひしめき躍動していたのか。拙著は、このような問題を、諸々の史料や文献と格闘しながら考え、読み解こうとしたものです。 

 ドイツ語を使い、日本史を学問的フィールドとして研究成果を発表しようとする私のアプローチは、始めた当初は類似の例があまりなく、いささか心細い思いでした。そうした中で、プロイセン東アジア遠征という魅力ある素材の存在を教えて下さったドイツ研究分野の指導教官・臼井隆一郎先生、この素材を幕末外交史研究で生かしていく道筋を照らして下さった日本史分野の指導教官・三谷博先生をはじめ、様々な指導者の方々のお力添えを頂きつつ、最初の成果をまとめることができました。今回、日本のドイツ研究を牽引する日本ドイツ学会から奨励賞を給わる栄誉に恵まれ、大変有り難く思いますと同時に、勇気づけられております。本賞は「ドイツ語圏に関する将来性に富む優れた研究業績を顕彰し、ドイツ語圏に関する学際的学術研究の発展に資することを目的」として設けられた賞と伺いました。ドイツ語圏に関わる研究のひとつの可能性あるあり方として、このようなアプローチを認めていただけたことと思い、今後の研究の励みとしていく所存です。現在、ドイツ語、ないしその他の西洋言語を使った日本、東アジアに関する研究は、携わる人がまだかなり少ない状況です。しかしそれだけに、開拓されていない未知の可能性が豊富に詰まっている領域であると言えます。今後、私の試みがひとつのささやかな先例となり、同様のアプローチをとってこの分野の探検に乗り出そうとする方が少しでも増えれば、大変嬉しいことと思っております。 

最後に改めまして、今回賜りましたご評価とご激励に、心からの御礼を申し上げまして、結びとさせていただきます。



≪2012年度日本ドイツ学会奨励賞≫ 

2012年度日本ドイツ学会奨励賞は、学会奨励賞選考委員会による慎重な選考を経て、

村上宏昭氏筑波大学人文社会系 助教
『世代の歴史社会学―近代ドイツの教養・福祉・戦争』昭和堂

に授与されました。 2013年6月22日、お茶の水女子大学において開催された日本ドイツ学会学術総会に際して授賞式が行われ、奨励賞選考委員会の村上公子委員長から選考経過と受賞理由の発表があり、日本ドイツ学会姫岡とし子理事長から村上宏昭氏に賞状と副賞が手渡されました。

   

選考理由

 本年度の日本ドイツ学会奨励賞の受賞作品は、村上宏昭著『世代の歴史社会学 – 近代ドイツの教養・福祉・戦争』2012年昭和堂刊に決定いたしました。

 著者の村上宏昭さんは、1977年生まれ、関西大学大学院文学研究科史学専攻を修了して博士号を取得、日本学術振興会特別研究員を経て、現在は、助教として、筑波大学人文社会系に奉職しておられます。

 日本ドイツ学会奨励賞審査委員会における、審査の経過を簡単にご説明いたします。2012年に出版された書籍のうち、奨励賞の審査対象とすべき作品の推薦を学会員の皆様にお願いしましたが、その結果、締め切りまでに4作品が推薦されました。

 奨励賞審査委員全員が全4作品を読んだ上、それぞれを10点満点で評価し、コメントを付けたものを、事務局が集計いたしました。この集計を踏まえ、2013年5月5日、審査委員会を開催し、慎重、そしてかなり時間をかけた議論の結果、村上宏昭さんの作品に奨励賞を差し上げることが決まりました。

 議論に時間がかかったのは、次点となった作品も非常に優れた論考で、そちらの作品をより強く推す審査員も、一人ならずあったからです。しかし、最終的には、学際性を重んずるドイツ学会の奨励賞として、よりふさわしい作品である、という点が重視され、村上宏昭さんの作品が選ばれました。

 ここで簡単に、受賞作『世代の歴史社会学 – 近代ドイツの教養・福祉・戦争』の内容をご紹介いたします。題名にあるとおり、この著作の主題は世代論です。ご存じのとおり、ドイツでは、近代から現代にかけて、青年神話、青年主義など、様々な世代論が登場しました。本書は、これらの世代論を「ライフステージ」と「コーホート」を鍵概念として、また教養理念や優生学、社会国家などの問題と結びつけて整理・分析したものである、とまとめることができるでしょう。著者自身は、序章で、「本書の課題は…『社会的事実』としての世代形象についてささやかな歴史的考察を行うこと…もっといえば…アイデンティティとしての世代意識にしろ、あるいは研究上の分析ツールとしての世代概念にしろ、世代をめぐる考え方が20世紀に入って大きな変化を経験したという仮定のもと、その検証を行うことが本書の目的」であると述べています。

 奨励賞審査委員からは、この「世代」を歴史研究における重要な分析概念として正面から取り上げ、これまでの世代理論を整理し、世代概念が根底的転換に至った背景を科学史的に考察し、更に20世紀の世代概念成立の過程を論述するという、本書の壮大な試みと、その学問的到達度が高く評価されました。

 ただ、意図の壮大さゆえか、理論構成が必ずしも平明とは言えない、あるいは、「世代」概念を歴史研究においてどのように使用すべきかについて、著者自身判断に揺れがあるのではないか、とか、また著者が本書の「中心課題」としている世代概念イメージの「ライフステージ」から「コーホート」への転換の軌跡を再構成する、という意図が成就されているようには思えない、という批判的なコメントもあったことを付け加えておきます。 

 ともあれ、日本ドイツ学会奨励賞審査委員会としては、村上宏昭さんに、奨励賞受賞のお祝いを申し上げるとともに、今後とも精力的に研究を進められ、何よりも、ドイツ史、あるいは歴史学という枠を越えた、領域横断的なお仕事を発表し続けて下さいますよう、お祈り申し上げます




   

村上宏昭氏の受賞のあいさつ 

 筑波大学の村上宏昭と申します。このたびは、栄誉ある日本ドイツ学会奨励賞をいただくことになり、望外の喜びに存じます。まずは、この場を借りて拙著を推薦していただいた方、ならびにこれまでの研究生活でお世話になった関係者の方々に深く御礼申し上げます。

 さて、拙著の中心的なテーマはタイトルにもございますように「世代」です。ご存じのとおり、この世代というテーマはつい数年前まで日本社会でも一世を風靡した観がありました。今はその熱も少し冷めているようですが、この本の基となった論文を執筆していた時期は、ちょうど「ロストジェネレーション」という非常にありがたくない名前を付けられた年齢集団(コーホート)が、新自由主義批判の渦巻く中で脚光を浴びていました。そのせいか、当時は猫も杓子も世代論という、悪く言えば「ウケ狙い」、良く言っても「一面的」と言わざるをえないような議論がいたるところで噴出し、その反動で世代という切り口そのものに対する懐疑のまなざし、世代論の持つ胡散臭さが、これまでにないほど意識された時期でもあったと思います。

 私の短い研究生活から実感として感じるのは、こうした社会的な流行なり風潮なりは、学術研究にとってきわめて両義的なものであるということです。つまり、一方では自分が従事する研究テーマに関して、言葉や理屈をいちいち並べ立てなくても直にその意義を理解してもらえるというメリットはあります。しかし他方では、自分自身もそうした安直な理解に囚われてしまい、距離を置いた冷静な分析がしばしば困難になるというデメリットもあります。いうまでもなく、後者は学問的な考察を進めるにあたってほとんど致命的とも言えるデメリットであり、流行が過ぎ去るとともにその寿命も尽きてしまう、息の短い泡沫研究しかできなくなる恐れが多分にあります。

 振り返ってみれば、私自身もしばらくこうした陥穽に陥っていたことは否めませんし、それだけに世代論の持つ学問的意義に対して懐疑的な声が上がるたびに、ある種のもどかしさを感じていたことも事実です。ただ急いで言い添えておけば、そのような懐疑や批判があったからこそ、私もまた徐々にではあれ世代論を相対化して考えるようになり、そうした懐疑の念を起こさせる歴史的理由、つまり「なぜ世代はこれほどまでに胡散臭い概念になったのか」という、新たな問題意識へと導かれていったと言えます。その意味で、拙著がこの学会奨励賞に値する意義を持つとすれば、それはまさしく私の視点を流行の渦中から引き離してくれた真摯な批判や懐疑の声、それに数々のお叱りの言葉に負っています。それゆえ本日の栄誉は私個人の力量というより、私の周囲の方々によるお力添えの賜物であると認識しております。

 本日はどうもありがとうございました。



≪2011年度日本ドイツ学会奨励賞≫ 

2011年度日本ドイツ学会奨励賞は、学会奨励賞選考委員会による慎重な選考を経て、

小原淳氏和歌山大学教育学部 准教授
『フォルクと帝国創設 ― 19世紀ドイツにおけるトゥルネン運動の史的考察』彩流社

に授与されました。 2012年7月7日、東京大学大学院数理科学研究科大講義室において開催された日本ドイツ学会学術総会に際して授賞式が行われ、奨励賞選考委員会の村上公子委員長から選考経過と受賞理由の発表があり、日本ドイツ学会姫岡とし子理事長から小原淳氏に賞状と副賞が手渡されました。

   

選考理由

 2011年度のドイツ学会奨励賞受賞作は、小原淳著『フォルクと帝国創設  19世紀ドイツにおけるトゥルネン運動の史的考察』彩流社刊、に決定いたしました。ここで、選考委員会を代表して、受賞者小原淳さんの略歴をご紹介申し上げるとともに、選考の経過を簡単にご説明いたします。

 小原さんは1975年生まれ、2006年に早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程を修了され、2008年、学位請求論文「近代ドイツにおける<市民性 Bürgerlichkeit>の変容  1840年代〜1860年代のドイツ・トゥルネン運動」によって早稲田大学から博士号を取得、現在は和歌山大学教育学部准教授として教鞭を執っておられます。言わずもがなかもしれませんが、今回の受賞作は、博士論文に加筆修正の上、出版されたものです。

 今回、ドイツ学会奨励賞選考委員会では、まず、委員から推薦された三冊の候補作品を12名の選考委員全員が読みました。次に、三作品それぞれを十点満点で採点し、各々の作品に対する所見を付けて提出、事務局でそれを集計し、資料にまとめました。その上で5月6日選考会議を開催、資料に基づき、出席可能だった委員間で慎重、入念な議論と検討を重ねた結果、小原氏の作品が、学術的な質の高さに加え、とりわけ狭義の19世紀ドイツ史の枠を越えて、近代ジェンダー史や西洋教育史、文学、民俗学、さらには視覚文化研究に及ぶ、広範な研究分野への広がりの可能性を持つ内容であることから、学際性を標榜するドイツ学会の奨励賞にふさわしい、という結論に至りました。

 本書は、その副題にあるとおり、19世紀初めにドイツの思想家にして教育者、フリードリヒ・ルートヴィヒ・ヤーンが創始した「トゥルネン」を、ジョージ・モッセのいう「大衆の国民化」に大きく寄与した運動と捉え、「トゥルネン運動がその成立以来一貫してフォルクの運動であることを自任し、フォルクについての理念と実践の交錯する場であり続けた」がゆえに「フォルクの歴史的内実とその変化を考える」ための格好の材料として、このトゥルネン運動を考察、分析するものです。

 周知のとおり、フォルクという言葉の意味する内容は大変多重的ですが、筆者はラインハート・コゼレクに従ってこれを「内/外」と「上/下」という二つの軸に沿って、整理できるものと捉えています。

  筆者によれば、発生から「帝国」創設期までの「トゥルネン運動」は、時期ごとに様相を変えつつ「フォルク」概念がこのコゼレクの「内/外」と「上/下」の二つの軸に対応する形で形成されていく実態を、見事に反映している、のだそうです。

 本書を読む者は、詳細な実証的データに裏付けられた筆者の論述によって、「フォルクについての理念と実践の交錯する場」であり続けたトゥルネン運動の実態を目の当たりにすると同時に、その運動の内外で、徐々に立ち上がってくる「フォルク」なるものの存在を、そのありようの複雑さと共に、感じ取ることが出来るでしょう。

 オーソドックスな歴史研究者としての筆者の力量には疑問の余地はありません。その確認の上で、歴史学会ではない、ドイツ学会の奨励賞選考委員から寄せられた、いわば、将来の氏の研究に対する期待とも言うべき指摘の何点かに、敢えて触れさせていただきます。

 まず、本書の考察対象が少し限定的に過ぎるのではないか、という複数の指摘がありました。一つは、考察の直接対象となっているトゥルネン運動そのものについて、今少し後の、独仏戦争の時期まで考察する、あるいは、もう少し個々のトゥルナーの内面に踏み込んだ考察が欲しかった、という指摘です。

 他の何人かの委員からは、フォルク形成の様相を検証する場として、トゥルネン運動以外の運動にもう少し言及した方が、考察に深みがでたのではないか、という指摘がありました。

 しかし、ドイツ学会奨励賞選考委員会として、より重要と思われるのは、次の点です。既に選考経過説明の中で触れましたが、本書を推す選考委員のコメントには、本書の記述が19世紀ドイツの歴史研究を越えて、他領域の研究にとっても有意義である、という内容のものがいくつもありました。その場合、そこで言う「他領域」は、コメントを書いた選考委員本人の主たる研究領域であることが殆どでした。

これは、本書の持つ学際的意味の大きさを示す事実ですが、ただ、一つ気がかりなのは、そのコメントに必ずと言ってよいほど「筆者はあまり意識していないが」という留保がついていたことです。

 選考委員会としては、小原氏が本書に至る研究の過程で蓄積されてきた、非常に豊かで多様性に富む学問的財産を、狭義の19世紀ドイツの歴史研究以外の視点から見た際の可能性にも目を閉ざすことなく、より豊かな研究を続けられることを願って已みません。

   

小原 淳氏の受賞のあいさつ 

和歌山大学の小原でございます。この度は拙著『フォルクと帝国創設―19世紀ドイツにおけるトゥルネン運動の史的考察』に名誉ある賞をいただき、大変光栄に感じております。

 これまでにこのような立派な賞を受けた経験もありませんし、「脱原発」がシンポジウムのテーマである今日のこの場で、体操やら愛国主義やらに夢中になっていた19世紀のドイツ人を対象にした研究について何をお話すればよいのか、正直見当がつきません。しかし、初めて日本ドイツ学会に参加させていただき、先ほどまでシンポジウムでの討議を拝聴したことで、賞に加えてもう一つ、今後の研究に励みをいただいたような気がしております。

こう申しますのは、拙著の執筆の最中に昨年の大震災が起き、そのような時に遠い異国、遠い時代の瑣末なあれこれを云々するのに何の意味があるのか、歴史学が眼前の惨事にいかに立ち向かうことができるのかを、大学の卒業論文でトゥルネン運動を研究テーマに選択して以来、初めてと言っていいほど切実に考えさせられたという経緯があるからです。昨夏に拙著を上梓した後も、この問いに自分なりの答えが得られたわけではなく、暗澹とした諦念を払拭しきれないままにいるのですが、専門家と一般の方の垣根を越えた今日の熱心な議論の応酬に耳を傾け、歴史研究はあるいは何らかの社会的有用性を持ち得るのかもしれない、少なくともその可能性を信じながら拙い研究を続けなければならないという思いを強くした次第です。

最後になりますが、拙著においては自制したことですが、常に私を支え続けてくれている家族への感謝をこの場をお借りして表現することをお許しいただければと思います。本日はどうもありがとうございました。



≪2010年度日本ドイツ学会奨励賞≫ 

2010年度日本ドイツ学会奨励賞は、学会奨励賞選考委員会による慎重な選考を経て、

中村綾乃氏(日本学術振興会特別研究員:お茶の水女子大学)の
東京のハーケンクロイツ 東アジアに生きたドイツ人の軌跡』 (白水社

に授与されました。 2011年6月25日、朱鷺メッセ新潟コンベンションセンターにおいて開催された日本ドイツ学会学術総会に際して授賞式が行われ、奨励賞選考委員会の石田勇治委員長から選考経過と受賞理由の発表があり、日本ドイツ学会姫岡とし子理事長から中村綾乃氏に賞状と副賞が手渡されました。

   

選考理由

 ドイツ学会奨励賞選考委員会は、会員から推薦のあった三つの作品を候補作品として審査を行い、慎重かつ公正な審議の結果、中村綾乃氏の著書『東京のハーケンクロイツ-東アジアに生きたドイツ人の軌跡』(白水社、2010年刊)を2010年度奨励賞受賞作品とすることで一致しました。以下、簡単ですが、中村氏をご紹介し、あわせて選考理由についてご説明させていただきます。
 
  中村氏は1976年のお生まれで、東京女子大学ならびにお茶の水女子大学大学院に学ばれ、現在、日本学術振興会特別研究員であります。これまで一貫して歴史学、とくにドイツ現代史の分野でナチズムに焦点をあてた優れた論考を数多く発表されてきました。今回の受賞作は、お茶の水女子大学に2006年に提出して受理された博士論文「東アジア在留ドイツ人社会におけるナチズムの成立とその浸透」を土台に、その後、アメリカ合衆国国立公文書館等で行った史料収集の成果を加えて、新たに刊行されたものです。

 表題からはナチ時代だけを扱う作品のように見えますが、本書が考察対象とする時期は、東アジア各地にドイツ人社会が形成された19世紀後半から第二次世界大戦の終結直後期までです。こうした長いスパンをあえて設定することで、東アジアのドイツ人社会が、本国にヒトラー政権が成立したことによっていかに変容したか、その連続と断絶の局面を考察するための前提が出来上がりました。

  汗牛充棟のナチズム研究の中で本書が放つ異彩は、中村氏が提起する「越境的な視点」と、人びとの日常史から歴史の本質に迫ろうとするその研究手法に負っています。ここでいう「越境の視点」には、東アジアの複数の地域・都市を考察対象とすることで、ナチズムをめぐる日独関係を多角的な国際関係の中で捉え直そうとする中村氏の問題設定が含まれます。上海や神戸といった、ドイツから遠く離れた「異郷の地」に住み、現地社会から隔絶された世界に生きるドイツ人たちが、ナチズムの運動やイデオロギーといかに向きあい、なぜこれを受け入れたのか、中村氏はナチ時代以前のドイツ人社会に注目し、そこで個人として、集団として求められた「ドイツらしさ」を論じ、ドイツ人アイデンティティを強めた「異郷のドイツ人社会」のあり方そのものが、やがてナチズムの浸透を可能にする条件を整えたと指摘しました。

 本書によれば、ナチズムが異郷のドイツ人社会に浸透したのは、たんにイデオロギーの積極的な受容によってではなく、むしろそれが日常的で社会的、非政治的な経路を通して、また具体的な人間関係や利害関係、コミュニティーへの帰属意識と結びつくことで可能になりました。たしかにこれは本国にも認められる現象ですが、本国との距離が現地のドイツ人社会にかなりの裁量の余地を与えたのでした。

  本章を構成する六つの章の中で、ナチズムの浸透過程の実相を伝統ある社交界の反応や、ナチ・シンボルの導入をめぐる悶着などに着目して論じた第三章、ナチ体制下のグライヒシャルトゥンング(統制)が、本国政府の意向とは裏腹に現地社会に順応して進められたこと(ナチズムの現地化)を論じた第四章はいずれも出色の出来であります。多くのエピソードをちりばめ、読む者を惹きつける本書が生まれた背景には、数多くの文書館で未公刊史料を渉猟しつつ、他方で関係者に向き合って直に聞き取り調査を行ってきた中村氏の努力がありました。

  選考委員会では、本書が従来のドイツ史、日独交流史の枠を超えるグローバルアプローチの新たな試みとして高く評価する点で一致しましたが、同時にいくつかの問題点も指摘されました。たとえば細部を描くさいの時代背景(大状況)の捉え方が平板であり、個々には興味深い出来事が全体の文脈にうまく位置づけられていないのでないかという批判です。また、本国から異郷へ向かうベクトルだけでなく、異郷から本国へ向かう逆方向のベクトルについても論じるべきではなかったかという声もあがりました。しかし、こうした不足は中村氏の今後の努力で克服されるべきものであり、本書の価値を損なうものではありません。本書に示された中村氏の深い洞察力と、物事を周到に調べ抜く力、豊かな筆力を見れば、中村氏が今後いっそうの研鑽をつむことで、ドイツ現代史研究のみならず、広く学際的ドイツ研究に大きな貢献を果されることは間違いないでしょう。

 以上の理由から、本選考委員会は中村氏の御著書を奨励賞受賞に相応しい作品と判断しました。

石田委員長

姫岡理事長と中村氏

   

中村綾乃氏の受賞のあいさつ

 このような賞をいただけることは、私のささやかな研究キャリアにおいて大変光栄なことです。これまで惜しみない助力を注いで下さったすべての方々に、この場を借りてお礼を申し上げます。

 若気の気負いのままの稚拙な研究という留保をつけつつ、積み残した課題、批判や問題点を放り出さずに、向き合っていきなさいという叱咤激励が込められた受賞ですので、その思いに答えられるよう精進してまいりたいと思います。

  本書は、東アジアのドイツ人社会とナチズムの政治的浸透をテーマとしています。当時の日本や中国のドイツ人は、このドイツ人コミュニティと日常的かつ深く関わっており、コミュニティへの帰属意識が強かったといえます。1933年以降、各都市のナチ党支部は、このドイツ人コミュニティのイデオロギー的な統制をはかりました。ドイツ人コミュニティから疎外されることを恐れたがゆえに、ナチ党支部の集会に足を運び、党への寄付金に応じたドイツ人も少なくありませんでした。このコミュニティの存在や帰属によって、ナチ党支部の統制は日常的かつ私的領域に浸透していくことになったといえます。

  さて、私たちもさまざまなコミュニティに属しており、多かれ少なかれ帰属意識を持っているのではないでしょうか。歴史家のコミュニティやドイツ研究者のコミュニティ、アカデミカーのコミュニティがあり、学会や研究会、同窓会などがコミュニティを形成する核の役割を担っています。ただこのコミュニティの構成員は一様である必然性はなく、むしろ幅広い世代、多様な経験を持つ研究者が集う場でなければならないと思っております。私の研究自体、民間史学の恩恵を受けており、地域史や郷土史、史料収集や保存に携わる方々、学校の教壇に立っている先生方や日曜歴史家の方々など多様な研究者から刺激を受けてまいりました。

  本書で依拠した史料基盤に多少なりとも独自性があるとすれば、神戸や横浜、天津のドイツ人学校の関係者の方々のおかげです。戦時下の日本や中国で子供時代を過ごしたというドイツ人(ユダヤ系を含む)の方々ですが、私のインタビューに応じて下さり、日記や個人書簡、写真などを提供して下さいました。オーラルヒストリーの手法ですが、史実との照合をはかるものではなく、どのような視角から記憶や証言を語るのかなど、記憶の形成を分析する一助として捉えております。語られる記憶が曖昧であったとしても、史料的な価値が失われるわけではなく、どのような記憶が曖昧でどのような記憶は鮮明であるのかという分析も可能なのではないでしょうか。戦後60年以上を経て世代交代が進んでおり、戦中生まれ、日本でいう「昭和一ケタ世代」の方々に直接お会いしてお話をうかがうことは年々難しくなっていくでしょう。またこのたびの東日本大震災と大津波、それに引き続く原発事故でも、貴重な史料が失われることになってしまいました。日記や書簡などの個人文書、記憶や証言などは、歴史を再構成していく史料となります。このような史料の記録と保存、公開は、体験や文化、歴史の教訓を次世代に伝えていく上で欠かせないことですが、残念ながら日本においてはその意識が低く、情報公開も遅れているといわざるを得ません。歴史研究と不可分の取り組みとして、史料の記録と保存、公開がありますが、その協力をこの場を借りて呼びかけさせていただければと思います。

 本日はどうもありがとうございました。

中村氏

2010年度受賞作表紙



2009年度日本ドイツ学会奨励賞は授賞取り消しとなりました。


2008年度日本ドイツ学会奨励賞は該当作品なしでした。


≪2007年度日本ドイツ学会奨励賞≫

2007年度日本ドイツ学会奨励賞は、学会奨励賞選考委員会による慎重な選考を経て、

今野元氏(愛知県立大学外国語学部)の 『マックス・ヴェーバー ある西欧派ドイツ・ナショナリストの生涯』 (東京大学出版会)

に授与されました。 2008年6月21日、筑波大学において開催された日本ドイツ学会学術総会に際して授賞式が行われ、奨励賞選考委員会の石田勇治委員長から選考経過と受賞理由の発表があり、日本ドイツ学会広渡清吾理事長から今野元氏に賞状と副賞が手渡されました。

   

選考理由

 今野元氏は、これまで一貫してドイツ近現代史、とくに帝政期から第一次世界大戦を経てヴァイマル共和国にいたる時期を対象に、同時代の思想家マックス・ヴェーバーに焦点をあてた優れた論考を発表してきた。

 今回の受賞作『マックス・ヴェーバー』(東京大学出版会)は、5年前に刊行された著書『マックス・ヴェーバーとポーランド問題』(同)で示されたヴェーバーの東方観に関する成果を踏まえ、ヴェーバーが明確な西欧近代化論者であると同時に、強いナショナリストであったという事実を、様々なエピソードを織り交ぜながら、説得的に描いた作品である。

 最良の歴史書は人物研究であるともいわれるが、本書はヴェーバーの人物像をありのままに、―これを一方的に断罪することも、礼賛することもなく―、そして、ヴェーバーが直接向きあった同時代の具体的な政治、社会的文脈にも分析のメスをいれながら、活写している。その意味で、本書は伝記の形態をとりながら、「ヴェーバーとその時代」に関する秀逸な歴史書となった。

 本書では、ヴェーバーの著作・刊行史料はいうまでもなく、夥しい未公刊の一次史料が駆使されている。浩瀚な本書の土台は、研究室でのテクスト分析だけでなく、ドイツ、オーストリアを始めイタリア、ポーランド、ロシア、フランスなど28カ所もの文書館で史料渉猟にあたった今野氏の歴史家としての努力によって築かれたものである。

 なかでも、「ローマ帝政期」など少年期のヴェーバーが遺した歴史作文の掘り起こしを含む第一章「政治的人格の形成」、フリードリヒ・ナウマンとの交友関係や闘病期における政治方針の一貫性などを述べた第二章「プロイセン・ユンカーとの対決」、さらに「独立自尊の人間を求める」ヴェーバー官僚制論の「原体験」ともいうべき生々しい官僚とのやりとりを描く第三章「ドイツの人間的基礎への批判」など、本書で初めて詳しく取り上げられた論点も多く、本書が今後長く参照されるべき一冊であることに疑念の余地はなかろう。

 たしかに本書には、著者の若さ故か、断定的で独善的な筆致が散見され、先行する我が国のヴェーバー研究の参照度にも若干の不足が感じられる。しかし、このような欠点は、本書の全体的な価値を損なうものではない。本書に示された今野氏の圧倒的な筆力と堅固な知的胆力は、今後いっそうの研鑽を積むことによって、ドイツ史研究のみならず、広く学際的ドイツ研究に多大な貢献を果たすことを確信させるものである。

 以上の理由から、日本ドイツ学会奨励賞選考委員会は、本書を奨励賞受賞に相応しい作品と判断した。

石田委員長

今野氏と広渡理事長

 

   

今野元氏の受賞のあいさつ

 愛知県立大学外国語学部ドイツ学科の今野元でございます。本日は名誉ある賞を頂きまして、大変な光栄に存じます。

 私が大学に入学しましたのは、ドイツ再統一の興奮醒めやらぬ1991年のことでして、ナショナリズムの再来が世界中で脚光を浴びた時期でした。世間は分断を克服したドイツへの祝福で溢れていましたが、大学の教壇では再燃したドイツ・ナショナリズムを遺憾とし、ヨーロッパ統合の進展に期待するという論調が支配的だったように記憶しています。そうしたなかで、人権、デモクラシー、理性といった知性主義的な理想と、ナショナリズムのような人間の情念との相克という現象に興味を抱いた次第です。

 私が大学院時代に課題としたマックス・ヴェーバーは、そうした好奇心に十分に応えるものでした。ヴェーバーは確かに傑出した知識人で、親英米の立場でドイツの政治的近代化を目指しましたが、同時に決然たるドイツ・ナショナリストでした。紋切型の反西欧的ドイツ・ナショナリストではなく、また無邪気な西欧礼讚者でもない、西欧派ドイツ・ナショナリストであるところに、ヴェーバーの特徴があります。彼の政治的言動は、ヴォルフガング・J・モムゼン以来歴史研究の対象とされてきましたが、私が先行研究に付け加えたものが多少あるとすれば、知性主義的な政治観には、ナショナリズムのような情念を抑制する面と、逆に助長する面とがあるという点でしょう。

 私は政治学とは、人間同士がいかに共存しうるか、あるいはできないかを考える営みだと定義していますが、そこで大事なのは、そもそも人間とはどのような存在かを見据えることだと思っています。この著作でも、ドイツ・ナショナリズムという大きな問題を扱うに際し、ヴェーバーやその同時代人の人間性を見詰めるところから出発しています。ただ今後分析対象が変わり、周囲の社会環境が変わると、あるいは私の人間観にも変化が生じるかもしれません。私は今後、近世から現代までの幅広い分野で、引き続きドイツを舞台に人間の共存について考えていきたいと思っておりますので、ご列席の先生方には今後ともご指導ご鞭撻を頂戴できますと幸甚に存じます。

 昨今は学問を取り巻く環境が変わり、実学ばかりが強調されるようになって、(とりわけ歴史・思想・文学・言語分野の)ドイツ語圏の研究は容易ならざる状況にあります。英米圏の研究や発展途上地域の研究、とりわけ流行のアジア研究なども重要ですが、欧米世界の重要な一要素であり、近代日本とも縁が深かったドイツ語圏の研究が、その意義を失うことは今後とも有り得ないと思われます。その意味で、その牽引車であり、学際的討論の場である日本ドイツ学会の益々のご発展をお祈り申し上げる次第です。私もドイツ政治担当の一教員として大いに勉強させて頂き、学生にドイツ学の面白さを伝えるべく努力して参りたいと存じます。

今野元氏

2007年度受賞作表紙



≪2006年度日本ドイツ学会奨励賞≫ 

2006年度日本ドイツ学会奨励賞は、学会奨励賞選考委員会による慎重な選考を経て、

宮本直美氏(立命館大学文学部)の 『教養の歴史社会学 ドイツの市民社会と音楽』 (岩波書店)

山口庸子氏
(名古屋大学大学院国際言語文化研究科)の『踊る身体の詩学 モデルネの舞踊表象』 (名古屋大学出版会)

の二点に授与することが決定されました。2007年6月23日、東京・明治大学において開催された日本ドイツ学会学術総会に際して、授賞式が行われ、学会奨励賞選考委員会の木村靖二委員長から選考経過と受賞理由の発表があり、日本ドイツ学会広渡清吾理事長から宮本直美氏と山口庸子氏に賞状と副賞が手渡されました。授賞式では、両氏から受賞にあたっての挨拶がのべられました。

   

選考理由

 宮本氏の研究は、19世紀以来のドイツ社会を特色づける教養市民層の検討の切り口として教養理念そのものを対象に取りあげ、その際教養としての音楽の成立・拡大・浸透過程からを教養市民層の輪郭を浮かび上がらせるというユニークな手法を採用している。個々の部分では先行研究の問題提起や成果を踏まえているが、とりわけ2章・3章アマチュア音楽活動とオラトリオブーム、バッハ復興運動などは、きわめてオリジナリティの高い分析で、説得力も高い。もっとも、教養理念の「規定不能性」と本書で強調されている指摘は、例えばマンハイムが19世紀保守主義・自由主義について、それが具体的な主義・政策を意味するものではなく、本質的には「Haltung」であったとしていることから、教養だけに限定されるべきかは疑問無しとしないなどの点もあるが、全体としては意欲的挑戦として評価できる。

 山口氏の研究は、これまでほとんど体系的検討がなされてこなかったモデルネ期の舞踏に焦点を当てたもので、それらを担う有名・無名の群像の分析からモデルネの舞踏、「踊る身体の詩学」のアンビバレントな性格、革新と危うさを描き出している。特に序章は歴史学・社会学その他この分野に関わる研究者に新しい視野と示唆的な問題提起を含む内容であり、3人のユダヤ系女性詩人を扱った第3部も印象深く読める。長年の研鑽の成果をまとめたものであることから、内容的にやや一貫性を持って理解しにくいところが散見されるが、当該分野でだけでなく、ひろくドイツ関連分野の裨益するところに多い業績である。

木村委員長

山口氏と広渡理事長

   

宮本直美氏の受賞のあいさつ 

 立命館大学の宮本直美と申します。本日は、大変光栄な賞を頂きまして、誠にありがとうございます。ご連絡を頂いた時は、非常に驚きましたし、少々当惑も致しました。

 私が大学で初めて学んだのは音楽学だったのですが、当時は音楽の研究と言えばドイツ音楽史を学ぶことが主流であり、音楽とドイツとは、イメージとして自然に結びついていたように思います。そうした環境の中で生まれた私自身の関心は、特定の作曲家とその作品の研究――それもまた当時の音楽学においてはごく当たり前の主題だったのですが――というよりは、「音楽とドイツ社会」に向かうようになり、現在では知られていない作曲家や、アマチュアの音楽活動、コンサートのあり方などに目を向けつつ、自分なりのテーマを模索するようになりました。

 そんな中で出会ったのが社会学という分野でした。自分にとって新しい分野に足を踏み入れてみると、却ってまた音楽学の閉鎖性とでも言うべきものに気づかされるようになりました。音楽学というディシプリンが過度に専門化された分野であることは今までもしばしば言われてきましたが、例えば本日の日本ドイツ学会という、ドイツをフィールドとする様々な分野の研究者が集まる学会において、音楽学者にはなかなかお目にかかれないということを考えても、ある程度は今でもあてはまることかもしれないと感じております。

 音楽学領域においては私はアウトサイダー的な位置にありましたが、一方社会学では、社会においてそれほど重要と思われてはいない音楽を扱う立場は、これもまた周縁的であります。けれども、このようなポジションにいるからこそ見えてくる問題を、これからも私なりに探求していくつもりです。新しい方向からアプローチすることによって、音楽現象のおもしろさや意義を見出し、そこから音楽研究の可能性を広げることに貢献できればと思っております。

 このような経緯から、私は学際性というものを意識しておりますが、そこにはただ学際的であればよいというユートピア的な発想はありません。自分の提示したものが、今度はそれぞれの専門家の厳しい批判の目にさらされるということでもありますし、その意味での覚悟も必要となります。それをまたありがたい刺激として糧にしてゆくことができれば、それではじめて望ましい学際性がありえると信じております。

 今回の受賞をスタート地点として、また新たに精進してまいりたいと思っております。この度は本当にありがとうございました。授賞に加えまして、このような場を設けて頂きましたことにも、改めて御礼申し上げます。

宮本氏

宮本氏受賞作表紙

   

山口庸子氏の受賞のあいさつ

 名古屋大学国際言語文化研究科の山口庸子です。このたびは、日本ドイツ学会の奨励賞を賜り、誠にありがとうございました。非常に驚きましたが、とても嬉しいお知らせでもありました。日本ドイツ学会、および選考委員の先生方に、心から御礼を申し上げます。また、著書が完成するまでの長い執筆期間に、ご助力と励ましとを頂いたすべての方々にも、この場を借りて御礼を申し上げたいと思います。

 拙著『踊る身体の詩学』は、ドイツ語圏モデルネにおける、文学と舞踊の密接な関係を論じた本です。10分ほどのスピーチを、ということですので、なぜこのような、あまりなじみのないテーマを扱うに至ったかをお話して、ご挨拶に代えたいと思います。

 あとがきにも記しましたように、このテーマを思いついたきっかけは、ネリー・ザックスを始めとする、20世紀ドイツの代表的なユダヤ系女性詩人の作品のなかで、舞踊表象が大きな役割を果たしている事実に気づいたことでした。1990年代前半のことで、ちょうど文学と舞踊に関する新しい研究が出始めた頃でした。それらの先行文献を調べるにつれ、たとえば、ツァラトゥストラが踊り手として登場するように、ニーチェや、リルケや、ゲオルゲやホーフマンスタールと言った、有名な哲学者や文学者においても、舞踊が大きな役割を果たすことがわかってまいりました。なぜ舞踊なのだろう、という疑問が日に日に押さえ切れなくなり、何一つ知らなかったドイツ語圏モダンダンスの歴史を勉強し始めました。こうして勉強を進めるうちに、20世紀初頭のドイツ語圏が、モダンダンスを含めた身体文化の一大中心地であったことや、ロシア・バレエ団や、表現主義、ダダイズムにおける、諸芸術間のコラボレーションの様々な例を知るようになりました。

 このように私の場合は、文学研究から舞踊史研究へと入っていったために、始めは両者の関係を、文学の側のみから見ておりました。けれどもそのうち、文学者が描き出した踊りや踊る身体と、舞踊家自身が演じたり論じたりするダンスは、必ずしも一致しないということに気がつきました。例えばホーフマンスタールにとって、舞踊の言語が、いわゆる「言語の危機」を克服する鍵のようなものであったとしても、当の舞踊家が、そう考えていたとは限らないわけです。モダンダンスの舞踊家には、圧倒的に女性が多く、ここには、身体と言語をめぐる、ジェンダーの問題も関わってきます。

 それならば、舞踊家たち自身は、「ことば」や「身体」をどのように捉えていたのだろうか。このような疑問から、今度は舞踊家の自伝や、当時の舞踊理論書などを集めて検討を始めました。残念ながら、調査できたのは極めてわずかな量に過ぎないのですが、それでもドイツ語圏モデルネにおいて、学問や芸術のジャンルを問わず、実に多彩な身体観・舞踊観が提示され、論じられていたという事実に圧倒されました。そして、モダンダンスの身体は、このような多様な言説および、大衆文化や非西欧の舞踊――このなかには、川上貞奴らの日本の舞踊も含まれるわけですが――も含めた、多彩な文化的出自を持つ身体的なパフォーマンスが、言わばシャッフルされ、相互に作用し合うなかで、徐々に生じてきたのだと考えるようになりました。西洋舞踊史の一般的な枠組みでは、モダンダンスは、バレエからモダンダンスへという通時的な軸で語られることが多いのですが、私はむしろ、モダンダンスをめぐるもろもろの共時的な現象に非常に魅力を感じました。

 そうしているうちに、モダンダンスの成立と前後して各地に生まれていた様々な共同体や芸術家コロニーが、文学と舞踊を繋ぐ回路のような役割を果たす例があると気づかされました。そこで、モダンダンスやモデルネの芸術と、青年運動やヌーディズムや田園都市運動など、各種の改革運動との関連を調べ始め、スイスのアスコーナにある「モンテ・ヴェリタ(真理の山)」や、オイリュトミーの本拠地であるドルナッハなども訪れてみました。そして、ドイツ語圏のモダンダンスの隆盛は、失われた、あるいは失われたと解釈された、自然や聖性や共同体性の回復を求める心情と深く結びついていると確信するに至りました。つまり、20世紀初頭のドイツ語圏において、社会全体が体感した「危機」への応答として、踊る身体によって感覚あるいは提示される世界が、日常世界とは異なるオルターナティヴな世界して了解され、そしてそのことが、人々の心を捕らえたのではないかと考えたのです。そうであるがゆえに、文学者たちも、舞踊に心惹かれたのだと私には思われました。

 このように、拙著には、文学研究と舞踊史研究の枠組みに収まりきらず、そこからはみ出していくような部分がございます。恐らくそれぞれの専門家の方から見れば、非常に危なっかしく、厳しい批判を免れない部分があるだろうと思っております。そもそも抒情詩における舞踊のモチーフ、というささやかなテーマを研究していた人間が、このような本を書くに至りましたのは、執筆者の意志というよりは、「モデルネの踊る身体」という素材自身の意志によるものです。私は、素材の持つどうしようもない力に引きずられて手探りで進むうちに、やむを得ず学問ジャンルの境界を踏み越えてしまった、というのが実情です。受賞をきっかけに、各分野の専門家の方々の忌憚のないご批判を頂くことができれば、また、様々な専門の方が、ドイツ語圏のモダンダンス、およびそのモダンダンスを含めたモデルネの身体文化という、この不思議で魅力的な時代現象に眼を向けて下さるのならば、これに過ぎる喜びはありません。本日は、本当にありがとうございました。

山口氏

山口氏受賞作表紙



≪2005年度日本ドイツ学会奨励賞≫ 

2005年度日本ドイツ学会奨励賞は、学会奨励賞選考委員会による慎重な選考を経て、

藤原辰史氏(京都大学人文科学研究所助手)の 『ナチス・ドイツの有機農業』 (柏書房)

に授与されました。2006年6月10日、京都・立命館大学において開催された日本ドイツ学会学術総会に際して、授賞式が行われ、学会奨励賞選考委員会の木村靖二委員長から選考経過と受賞理由の発表があり、日本ドイツ学会広渡清吾理事長から藤原辰史氏に賞状と副賞が手渡されました。授賞式では、藤原氏から受賞にあたっての挨拶がのべられ、受賞した作品のモチーフが披露されるなど、意義深いスピーチでした。

   

選考理由

 藤原辰史氏の研究テーマは、ナチズムと自然保護、エコロジーとの密接な関係がもつ意味を、有機農業、とりわけ「バイオ・ダイナミック農法」の展開とナチスの農業観との融合を事例として分析することで、解明しようとするものである。

 有機農業は近代以前の農業に復帰することを求めるのではなく、化学肥料の大量投入を基本とする近代農業とそこに見られる人間中心主義からの脱却を掲げて、新しい農業のあり方を模索する運動であることを明らかにした上で、それがナチスの考える「生物圏平等主義」(「民族共同体」内での命あるものの平等)と共鳴する側面をもつことを指摘する。

 ドイツにおける一次史料の調査に立って、日本でもよく知られているシュタイナーの思想的系譜に連なる「バイオ・ダイナミック農法」の動向、ダレやヒムラーなど有力なナチ指導者のこの農法への共感、戦後もダレがこの農法の普及に努めていた事実など、興味深い事実が掘り起こされ、同時に日本での同時代の有機農業との関連も視野に収められていて、環境科学専攻者ならではの専門的知見が十分に活かされた力作となっている。

 著書の表題はかなり限定的な、特殊なテーマを予想させるが、人間を自然のなかに埋め戻す、人間と動物とを平等視するというナチズムの「生物圏平等主義」は、また人間を動物のように殺すことにも通底するという指摘など、ナチズム理解に刺激的な新しい視点を与えるばかりか、近代とその批判の問題性を鋭く穿ち、またエコロジー運動や緑の党などの検討にも示唆を与える広がりを内包している点が、特に高く評価された。

 一部には史料分析への疑義や論理の飛躍などが見られるが、今後の研究の進展が期待できるという判断でも委員会は一致し、氏の業績を学会奨励賞に相応しいものとして推薦することに決定した。 

木村委員長

廣渡理事長と藤原氏

   

藤原辰史氏の受賞のあいさつ

 藤原でございます。京都大学の人文科学研究所に勤めております。このたびは、日本ドイツ学会奨励賞をいただきまして、しかも今回が第一回ということで、大変光栄に存じます。日本ドイツ学会の選考委員の先生方にこの場をかりて心より御礼申し上げます。

  さて、10分ほどスピーチせよ、というお達しですので、『ナチス・ドイツの有機農業』で読者に伝えたかったメッセージを簡単に述べることで、受賞のあいさつにかえさせていただくことをおゆるしください。

 メッセージの第一は、有機農業の再検討です。有機農業と申しますと、スーパーでみかける「省農薬レタス」や「無農薬トマト」というラベルのイメージが先行しがちですが、歴史をさかのぼってみますと──その欠かすことのできない例がシュタイナーのバイオ・ダイナミック農法なのですが──意外なことに、人間と自然の関係を改変することで、人間の生き方や、社会や文化のあり方そのものまで変革していくようなスケールの大きい運動であったことがわかります。それは、いまからみましてもとても魅力的なものでありまして、肥料をどのように作るのか、という技術的な問題から、自然のなかで人間はどう位置づけられるのか、そもそも人間とは何かというような哲学的問題までを包摂するものです。こうした魅力を、つまりいまだ解決されざる領域をナチス・ドイツが絡めとってしまったがゆえに、ナチズムをいまなお研究すべき理由があると私は確信しております。

 第二に、ナチズムは日本の問題でもある、ということです。たとえば、戦後日本における有機農業運動のきっかけをつくった書、ロデイル『黄金の土』(=邦訳『有機農業』)には、元ナチ党員であり、農場主でもあったヘルマン・ラウシュニングの農芸化学批判が引用されています。もちろん、当時の日本人は、これをナチスの文脈でとらえなかったわけですけれども、ナチスを支持する農業従事者の不満と日本の有機農業家たちの不満が、土壌や自然の問題において通底していることをこの事実が伝えていると思います。

 これまで、拙著は、『週刊プレイボーイ』や『週刊文春』での紹介、有機農業家のウェッブサイト、エコロジストの書評などなど、いわゆるアカデミックな領域の外でもさまざまに取り上げられ、さまざまなお叱りや批判を頂戴して参りました。日本ドイツ学会はまさにアカデミックの本流であり、これまでの傾向からして、正直大変驚いております。研究者にとって褒められることほど不幸なことはない、という私が尊敬する先生の言葉が正しいとすれば、いま私は不幸のどん底です。これ以上どん底に陥らない唯一の方法は、拙著が、これを機にさらに多くの方々の厳しい目にさらされることであります。私は心からそう願っております。

 本日は、貴重なお時間を表彰式とスピーチに割いていただき、誠に有難うございました。

藤原氏


2005年度受賞作表紙

今年度日本ドイツ学会奨励賞候補作品募集のお知らせはこちら

(2019/7/17更新)